初めてのグリーン車は立ち乗りだった…
先日一年の疲れを癒す目的で台北のリージェントホテルに泊まってきた。(軽い自慢)普段に比べて半額位で泊まれるとの謳い文句に釣られて予約したけど、泊まった事がないから本当に半額かは知らない。若くてエネルギーが爆発している時の旅行はホテルなんて寝る場所があれば良いだったんだけど大人になったのかな、年を取ったのかな。
旅行というのは今住んでいる場所では満たされない物があるから行くわけで、今の生活で満たされない事がある。その中で家にお風呂が無い事と卵かけご飯を食べるのを嫁に止められる事が上位にランクインする。
卵かけごはんは台湾の古くからの風習のせいか高級な卵であっても自宅では台湾嫁に止められて食べられない。でも謎ルールで、すき焼き食べ放題に行った時は食べても何も言われないので肉そっちのけで卵かけごはんを食べて嫁にアホかと罵られる事で何とかまかなっている。
お風呂に関しては今住んでいる家はバスルームが2つあるのに両方ともバスタブが無い。2つのバスルーム共にシャワーとトイレが一緒の台湾ぽいスタイルだが、2つのバスルームが壁一枚で隣り合わせというクレイジーな設計である。用を足している時は毎回のようにこれを設計した人はイカレテルのかと思っていた事もあるが、夜市のウズラの卵で当たって便座から離れられずに寝落ちしてからトイレが二つあるというのは大きな財産という事を学んだので許したのである。
そんな訳で風呂不足に陥った私は嫁と息子を連れて台北へと向かった。
チェックインを済ませて部屋に入り、すかさずバスタブをチェックした私は上から目線で合格印を送った。うん悪くないね。久しぶりに見たバスタブに心が揺さぶられる。
とりあえずお楽しみは後でという事で町に繰り出しぶらぶらしてからディナーを楽しみホテルへ戻る。
バスタブにお湯を張り、子供と一緒に入った後1人でゆっくりと浸る。
至福のひと時に無意識に「あ~」という声が漏れる。台湾の人も風呂に使ったら同じ声出るのかなとか考える。もしかしたら「あいや~」なのかなとか。嫁は無言だったので真相はわからなかった。
日本にいる時は湯船に浸かっても10分位だったが、なぜだろうか30分以上入っていられた。このまま浸かり続けてとろとろになって煮込まれてカレーになっても良い気分であったが手がふやけてきたので出る事にしよう。
次の日も朝食後に優雅に朝風呂。自家にいる時は使った事の無いバスソルトなんて入れてみたりして、プチセレブを満喫した。
次の日、ホテルのチェックアウトを済ませ、観光ブックに載っているかのような定番の観光をした。この日は台湾友人とディナーを一緒にした後に新幹線の駅へ向かう予定だったのだが、食事の終わりが何時になるかよくわからなかったので新幹線のチケットは買っていなかった。食事後に駅に着くと案の定自由席&指定席は売り切れでビジネス席(グリーン車)のみというついて無さ…
しかし旅行マジックとでもいうのか、入る前はびくびくしてるのに飲みだしたら「延長しちゃいますか~!」とかキャバでイキってるおっさんのように「ビジネス乗っちゃいますか」と謎テンションで躊躇なくビジネス席を購入するから旅行は怖い。
疲れを取る為だし、年一くらいはいいでしょと無理やり自分に言い聞かせて新幹線を待つ。新幹線が到着し、いつもより広い席に腰を掛けリラックスモードに突入。
ビジネス席は自由&指定席と違って、大声で話す人もイヤホン無しで動画見る人もいないんだな~とちょっと関心&満足。
そんな静けさただよう新幹線だったが
小さな怪獣が雄叫びをあげた。
『ギャ~』という鳴き声に驚いたが、どうやら声の主は自分の息子だった。
静かな車内に響く息子の声…
慌てて嫁が「母乳あげてくる」と連結部の授乳室へと向かった。10分程して帰って来て落ち着いたかと思ったらまたすぐにギャン泣きの息子とニーハオ…
今度は私が連結部へダッシュする…
10分程してもぐずり続けていると嫁が助けに来てくれた。何とか嫁と2人で連結部で5分程揺らながら息子が落ち着いたので席に戻る。
「は~」とため息をついて座ろうとしたら、息子の顔がくしゃっと泣き出しそうになったので慌てて立ち上がる。
赤ちゃんセンサー発動!座ったら泣く奴ね。ヤバいやつね。
静まり返るビジネスシート車両で1人忽然と立ち上がる私。座ったら即アウトという罰ゲームの開始である。
立ち上がると他の乗客の顔が見え、皆気持ち良さそうに寝ているではないか。
自分もゆっくり座りたいよ~と思うが息子はそうはさせたくないらしい。
途中落ち着いたかなと思ってこっそり座ろうと試みたが全て息子に見破られる。
なんて好感度なセンサーなこと。背中に赤外線センサーでも付いてんのかとツッコみたくなる。
ようやく寝た!
と思ったら到着の案内が流れた…
車内サービスで貰った高級な水のペットボトルを握りしめて初めてのビジネスシートを後にしたのだった。