台湾に来て3年が経ったので、3年間を簡単に振り返ってみる
年を取る程月日の流れは速く感じるものであるが、台中で暮らし始めて3年という月日が経っている事に気付いたので、台湾での3年間を簡単に振り返ってみようと思う。
- 1.台北滞在は3日で台中へ
- 2.語学学校決定!中国語学習を開始(1カ月目)
- 3.嫁との出会い(3カ月目)
- 4.友人と遊びに行くようになる(4カ月目)
- 5.今嫁と付き合い始める(5カ月目)
- 6.中国語を学ぶ毎日(6~12カ月)
- 7.人生で初めての飲食店アルバイト(1年1カ月~3か月)
- 8.現地で就職(1年4カ月~9カ月)
- 9.ビザトラブル(1年7カ月~9カ月)
- 10.台湾人と結婚(1年10カ月)
- 11.再就職(1年11カ月)
- 12.仕事も落ち着いて来たのでブログを書いてみる事に(2年7カ月)
- 13.中国語が上手くならない私と日本語を勉強し始めた嫁の今
- 14.最後に
1.台北滞在は3日で台中へ
語学学校探しからスタートした台湾生活。最初は台北の師範大学を見学したのだが、日本人が多く、スタッフにも日本語が通じてしまう素晴らしい環境下で意志の弱い自分には中国語習得が難しいと感じた為、台北より日本人が少ないであろう台中へ向かう。
台中のどこか懐かしくもあり、ゆったりとした雰囲気に惹かれる。
2.語学学校決定!中国語学習を開始(1カ月目)
台中の東海大学という日本にもありそうな名前の学校が気に入り、申し込みを行う。ビザの申請の関係で少しだけ日本に帰国。
ちなみに中国語は全く話せないレベルなので一番下のクラスでスタート。1クラス5人適度の少数の授業スタイルであったが、授業は当然中国語で行われるので、最初の学期は教師の言っている事が全くわからない状態だった。
帰宅後に必死の復習する毎日。
クラスには日本人は1人で韓国人2人、ベトナム人とタイ人が一人づつという5人だった。
韓国人2人は私と年齢が近くよく行動を共にする友人となった。
3.嫁との出会い(3カ月目)
中国語はまだほぼ話せない時期であったが、友人と食事の際に出会う。中国語勉強や生活に慣れる事に必死だった私は、彼女が欲しいとかそういった事も無く、特に意識はしていなかった。LINEの翻訳アプリを使ってたまに連絡を取るような関係であった。
4.友人と遊びに行くようになる(4カ月目)
最低限の意思疎通が出来るようになって来た事もあり、韓国人の友人達と昼食を食べたり、夜市に行ったり、飲みに行ったりするようになる。
台中での生活にも慣れて来た感じがした時期。
嫁とも友人と一緒にご飯を食べに行く事が増えてくる。
5.今嫁と付き合い始める(5カ月目)
語学学校が1カ月程度の休みに入る。家賃の振込、病院の診察付き添い、光熱費支払いトラブル、中国語学習の手伝いとか面倒な事も嫌な顔せずに教えてくれる嫁に好意を感じ始める自分がいた。
休暇中に旅行に行く事となり、それを切っ掛けに付き合う事に。
まさか外国人と付き合う事となるとは。正直不安でいっぱい。
6.中国語を学ぶ毎日(6~12カ月)
学校の友人や嫁と中国語で会話をしているので自信がついてくるが、現地の台湾人と話すと通じなかったり聞き取れなかったりと心が折れては、強くなっていく日々。
7.人生で初めての飲食店アルバイト(1年1カ月~3か月)
台湾の留学が1年を超えた為にアルバイトが出来る事に、日本企業の飲食店で語学を磨く為に学校が終わった後と土日はアルバイトをする事に。時給500円位だったけど新鮮な気分になれたし、日本人の知り合いも出来たのでとても良い経験だった。
3カ月程度お世話になる事に。
8.現地で就職(1年4カ月~9カ月)
アルバイトで若干であるが自信が付いたので、台湾の企業に応募してみる事に。1社目は最終面接で落とされるが、2社目で内定をもらう。
出勤初日にスーツを来ていったら、スーツはやめてと注意される。
日本に向けての販売を強化したいという会社で業務内容は翻訳、ネットショップの作成、商品名や価格やポイントの設定、SNSでの広告、日本企業の窓口、接待など日本に関わる事全般。
9.ビザトラブル(1年7カ月~9カ月)
会社に伝えていた時期までにビザが貰えないとわかったので一時的に日本に帰国する。日本の支社で一時的に働く事になるが、同僚の台湾人が急にクビになり、給与未払いで困っていると相談された事でこの会社に対して危険を感じる。
後に自分を日本で働かせるという作戦だった事がわかり退職する事に。
10.台湾人と結婚(1年10カ月)
ビザのトラブルで私に何かあったらどうすると辞めた会社の社長に対して怒りをぶちまけている嫁を見て結婚を決意する。
台湾に来た当初、全く考えもしていなかった国際結婚をするという事である。
日本で婚姻の手続きを済ませてから嫁と台中に戻る。
11.再就職(1年11カ月)
結婚の手続きやビザの申請が落ち着いたので再び台中で就職活動を開始する。
1カ月程の就活で、今の会社に採用されて働く事に。
会社に従業員は200人以上いるが日本人は1人という会社。
勤務時間は18時までなのだが、18時3分にデスクに座っていたら、まだ帰ってないのと言われる会社で働きやすいという事は良い点である。
12.仕事も落ち着いて来たのでブログを書いてみる事に(2年7カ月)
台中で日本人との繋がりがあんまりないなーと思い。何となくブログを書いてみる事に。
13.中国語が上手くならない私と日本語を勉強し始めた嫁の今
最低限言いたい事が話せるようになっていた事で、それで満足してしまっていた。中国語もテレビを見ている時は無意識に字幕を見てわかるような気になっていたが、まだまだ分からない表現が多いのが現実。
他には、嫁は自分の発音の悪さに慣れているので、それも原因である。自分の言いたい事がわかってしまうのである。
嫁の友人といる時に自分の発音が悪すぎて、嫁が中国語を中国語に翻訳して友人に伝える時は切ない気分になる…
又、嫁は日本語を勉強開始!ひらがなは大体わかるけど、カタカナが読めないレベルである。このまま続くのだろうか。
14.最後に
現在嫁とは大きな喧嘩も無く、幸せに暮らせている。
今後一生台湾で生活していくかはまだ決めていない。計画性が無いのはこの3年を見て貰えばわかるだろう。
今思うのは、最近は台湾にいる事が当たり前になってしまっているという事。
いつまでいられるかわからない台湾を全身で感じて楽しむ為にブログを始めたのかもしれないな。