台湾で暮らして約3年。台湾での甘く苦い思い出を語っていく 其の壱
台湾で暮らして3年が経過。そんな台湾での生活において、自分の中で印象が深い台湾での思い出を語っていこうと思います。
まずは留学時代の2つのストーリーから
1.台湾で初めての病院
台湾で留学時代の事であるが、仲の良かった韓国人(小峠に似ているので小峠と呼ぶ)がある日学校で会うと話があるから聞いてくれと私に言って来た。
その表情はいつもの明るい彼とは違って神妙な物で、私は少しびっくりしたのを覚えている。
ちなみにお互いの共通言語は中国語だったが、習い始めて数カ月とまだすらすらと会話が出来る訳も無く、片言の単語でコミュニケーションが取れるレベルであった。
小峠は軽いびっこを引いて近寄って来る。
私は「どうしたの?」「怪我したの?」
みたいな事を言ったと思う。
小峠の返事は
「蛋蛋芒果」であった。
日本語にすると「たまたまマンゴー」であり、理解に苦しんだが、彼が下半身を必死に指さしているのでそこで理解が出来た。
小峠の玉は何かしらの菌に侵されてマンゴーのように肥大していたのだった。
私は堪え切れずに笑ってしまったが、彼は必至で笑う余裕もなかったようだった。
そんな冷や汗の滲んだ彼が私に
「一緒に病院に行ってくれ」
と言って来た。
理由は彼は中国語での会話は私よりも優れていたのだけど、漢字がほとんど読めないとう事である。
問診票で変な事を書いたら、玉が無くなってしまうかもしれないと恐れた彼は勇気を振り絞って私に声を掛けて来たのであった。
そんなわけで台湾の初めての病院は男二人で泌尿器科という事になる。
病院への道中、小峠に
「マンゴーが収穫されちゃうね」
「一つあれば大丈夫だよ」
とギャグを飛ばしていたが、小峠は深刻な顔をしていたのを覚えている。
病院に着いて、30過ぎのおっさん2人が受付で「泌尿器科はどっちですか?」と聞いたのは今後も忘れられないと思う。
ちなみに小峠のマンゴーは薬を飲んだらすぐに銀杏に戻ったそうだ。
2.お坊さんの人間力
留学時代の少し変わった友人にタイから来たお坊さんがいた。オレンジ色の袈裟を毎日着て学校へ来るのですごく目立つ。
お坊さんとは同じクラスで会話もしていたが、失礼な事はしてはいけないというような気持ちがあり、最初はあまり踏み込んだ質問などはしないようにしていた。
そんなお坊さんとも会話をしていくうちに仲良くなり、結構踏み込んだ質問もする事が出来る関係になっていった。
ある日そんな彼と一緒にご飯を食べに行く機会があった。小峠とベトナム人を合わせて4人で行った。
私はお坊さんがベジタリアンだったかなと思い、気を使って「何が食べたいものある?」と聞くと何でも大丈夫との事。
「タイのお坊さんって何食べてもいいの?」
と聞くと
「象の肉以外なら大丈夫」
というブラックジョークで返された。
タイのお坊さんもなかなかやるなと思った。
小峠が「じゃあすき焼き食べ方が良い」というので、すき焼き食べ放題へ行く事に。
同じクラスで1カ月以上が過ぎた事で打ち解けてきたこともあり、お坊さんに色々と聞いてみる事に。
「食べ物に禁止されてる物は無いの?」との私の質問に
特に禁止されている物は無いが、夕方からは何も食べてはいけないらしい。
他には商売もしていいそうで、台湾のちょっと特別な石をタイで売ろうと思ってると言っていた。
お坊さんってお金儲けてもいいんだと驚く私。
殺生は禁止だったかなと浮かんだので
「じゃあ蚊が腕にとまったらどうするの?」と聞くと
笑顔で息をふっとかける動作を見せらせた。
なんて人間力なんだろうか菩薩に見えますよ。
夜中に鬼の形相で蚊を探している自分を恥じた…
続いて
「家とか休みの日も袈裟来てるの」と聞くと、
寝る時はアディダスだと言っていたので笑ってしまった。
そんな会話をしていると、すき焼きの肉が到着した。
自分が肉に近かった事もあり、人数分の枚数の肉を投入していく。
そろそろかと思って食べようと鍋を見ると肉が無い…
まあいいかと思い肉を追加投入。
また無い。
何だこいつらはと少しイラっとして今度は多めに肉を投入し、誰が肉を全部取っているかを見張る。
「おぼうさーん。全部食べちゃうのか~い」
ってお坊さんにつっこみを入れたら笑ってた。
人間力高くてもすき焼きは美味しいよねって話でした。